はじめてのトライアスロン

STYLE TRIATHLON |女性消防士の真希さんが思うトライアスロンの魅力とは?
今回の登壇者は、普段は市民の安全を守る女性消防士の真希さん(24)のトライアスロンスタイルとは? 『STYLE TRIATHLON』 は、トライアスロン初心者から、トライアスロン経験者にトライアスロンの更なる魅力を最大限に知ってもらうために発信している記事です!! 今回は真希さんがトライアスロンと出会ったきっかけから感じてきた想いについて市民トライアスリート目線でインタビューに答えていただきました! Q.トライアスロンをはじめたきっかけを教えてください! A.中高バレーボール部で個人スポーツに切り替えてみようと思いました。短距離より長距離の方が好きだったので、トライアスロンは向いてるかな。と思いました!また、小学生の頃に競泳をやっており、遊び感覚でキッズトライアスロンに出たことがあったので、はじめやすかったのかもしれません! Q.トライアスロンの好きなところやトライアスロンのメリットはなんですか? A.色々な地方にも行けて、大会先の現地のご飯などが美味しいところが多いので旅行感覚にもなる所です✈️完走した時の達成感は何よりもトライアスロンを好きにさせてくれます! Q.トライアスロンのやりがいを感じるときは? A.好きなところとかぶる部分ですが・レースを完走した時・沿道の応援がある時。・賞を取れた時。この3つがトライアスロンにやりがいを感じることです🌟 Q.トライアスロンの練習はどのようにしていますか? A.大学生の頃は通学で自転車を漕ぎ、通学時間で練習をおこなっていました。放課後に部活でバイクとランやスイムとランなどを自分たちで考えて練習をしていました。 Q.トライアスロンの思い出に残るエピソードがあったら教えてください! A.知り合いが増えた事!!これが一番の嬉しいトライアスロンエピソードです。レースの数だけ出会いが沢山あります。話はかわってしまいますが衝撃エピソードは、富山県での大会でランコースがスキー場で夏場だったので全く気付かずに前日の試走をしていたら虫のブヨに噛まれまくって足がパンパンに腫れた事はすごく衝撃でした! Q.次にトライアスロンの大会があったら出ますか!? A.出たいです!(練習しないとなぁと思いながらズルズルと社会人3年目に入りました。。。) お忙しい仕事の合間をぬってインタビューにお答えいただきありがとうございました!!是非、頑張ってトライアスロンの大会に出場していただければと思います!トライアスロンの大会は、新しい出会いや新しい自分に出会える場所です!なので、私たちは次の大会で更にパワーアップをした真希さんに出会えることを楽しみに待っております。
STYLE TRIATHLON |女性消防士の真希さんが思うトライアスロンの魅力とは?
今回の登壇者は、普段は市民の安全を守る女性消防士の真希さん(24)のトライアスロンスタイルとは? 『STYLE TRIATHLON』 は、トライアスロン初心者から、トライアスロン経験者にトライアスロンの更なる魅力を最大限に知ってもらうために発信している記事です!! 今回は真希さんがトライアスロンと出会ったきっかけから感じてきた想いについて市民トライアスリート目線でインタビューに答えていただきました! Q.トライアスロンをはじめたきっかけを教えてください! A.中高バレーボール部で個人スポーツに切り替えてみようと思いました。短距離より長距離の方が好きだったので、トライアスロンは向いてるかな。と思いました!また、小学生の頃に競泳をやっており、遊び感覚でキッズトライアスロンに出たことがあったので、はじめやすかったのかもしれません! Q.トライアスロンの好きなところやトライアスロンのメリットはなんですか? A.色々な地方にも行けて、大会先の現地のご飯などが美味しいところが多いので旅行感覚にもなる所です✈️完走した時の達成感は何よりもトライアスロンを好きにさせてくれます! Q.トライアスロンのやりがいを感じるときは? A.好きなところとかぶる部分ですが・レースを完走した時・沿道の応援がある時。・賞を取れた時。この3つがトライアスロンにやりがいを感じることです🌟 Q.トライアスロンの練習はどのようにしていますか? A.大学生の頃は通学で自転車を漕ぎ、通学時間で練習をおこなっていました。放課後に部活でバイクとランやスイムとランなどを自分たちで考えて練習をしていました。 Q.トライアスロンの思い出に残るエピソードがあったら教えてください! A.知り合いが増えた事!!これが一番の嬉しいトライアスロンエピソードです。レースの数だけ出会いが沢山あります。話はかわってしまいますが衝撃エピソードは、富山県での大会でランコースがスキー場で夏場だったので全く気付かずに前日の試走をしていたら虫のブヨに噛まれまくって足がパンパンに腫れた事はすごく衝撃でした! Q.次にトライアスロンの大会があったら出ますか!? A.出たいです!(練習しないとなぁと思いながらズルズルと社会人3年目に入りました。。。) お忙しい仕事の合間をぬってインタビューにお答えいただきありがとうございました!!是非、頑張ってトライアスロンの大会に出場していただければと思います!トライアスロンの大会は、新しい出会いや新しい自分に出会える場所です!なので、私たちは次の大会で更にパワーアップをした真希さんに出会えることを楽しみに待っております。

STYLE TRIATHLON | 女性トライスリート界のレジェンド山本敬子にインタビュー!
女性プロトライアスリートとしての選手時代を振り返る。人生の選択と伝えたい想い。 今回インタビューさせていただいたのは、トッププロとして日本のロングディスタンス・トライアスロンを牽引してきた功績者の山本敬子さんです。現在はアスリートを支えるサポーターとして活動中。また、二児の母親として子育てに奮闘中。家事の合間をぬってインタビューに答えていただきました!よろしくお願いいたします。 主な成績◆2006年 U23 アジア選手権 優勝◆2007年 U23世界選手権 6位 ◆2013年 全日本宮古島トライアスロン 優勝 ◆2012年〜2017年 日本トライアスロンロングディスタンス選手権 6連覇 トライアスロンとの出会い Q.トライアスロンを始められたきっかけを教えてください。 A.高校生の時に水泳を習っていました。その水泳の知人からトライアスロンの大会に誘われレースに出場したのがきっかけで初めての大会に出場しました。その大会でトライアスロンの楽しさに気付くと、いつの間にか2回目の大会に出場していました!そこで千葉智雄さん(恩師)に声をかけていただきトライアスロン界へと足を踏みだしました。私の出身でもある福岡県の高校を卒業すると、進路は迷わず「強くなりたい、速くなりたい。」この素直でまっすぐな想いだけで沖縄へと旅立ちました。沖縄県に移住してからは千葉智雄さん、ちはるさんご夫妻が率いるチームゴーヤーに加入しトライアスロンの頂点を目指しました。当時は週6日はチームゴーヤーのプログラム練習に参加していました。半日バイクに乗り、その練習が終わり次第、ランやスイムの練習を行っていました。 トライアスロンの魅力 Q.敬子さんがとりつかれたトライアスロンの魅力とは? A.トライアスロンは大会の開催場所によって見られる景色が違います。海の広さや、道の雰囲気など土地それぞれの広大な自然に包まれながらレースをできる所が好きでした。当時、水泳を行っていた時はプールの中でタイムトライアルに集中しなければいけませんでした。ですが、トライアスロンは対自然ということもありスイムの時は海を見ながらバイクやランは自然を楽しむことができながらレースに集中することができるのがトライアスロンの魅力ではないでしょうか! 今、伝えたい想い Q.女性トライアスリートに一言お願いします! A.人それぞれ価値観があると思いますが「選手をやめた後の人生の方が長い」ということを知っていただきたいです。選手を約13年間続ける中で最初はただ早くなりたい一心で沖縄へ行きましたが成長と共に「この先ずっと選手として生きていくのだろうか?」「選手をやめた後はどうなるのだろうか?」と”これからの人生”について深く考えるようになりました。その考えがレースの雑念になり、自分を責めた苦しい時期もありました。その考えによって千葉智雄さん(恩師)とぶつかり合ったことも沢山ありました。もし私が選手だった当時に戻れて、「選手をやめた後の人生の方が長い」というこの考え方を持っていれば、レースに対しての気持ちとこれからの人生に対して気持ちにメリハリを持って考えることができたので少しは気持ちが楽だったのかもしれません。 競技の練習を行う中でホルモンバランスが崩れ体調を崩すこともありました。 しかし、今は母親になり子供を産む喜びも味わうこともできました。子育てに日々奮闘中ですが、今が本当に幸せです。 だからこそ、選手時代からこの先の人生のことを考えながら、自分の体や自分が選んだ道を信じ、”自分自身を大切に”してあげてほしいと思っています! インタビューにお答えいただき誠にありがとうございました! これからも敬子さんらしい素敵な家庭を築いてください。 10代からトライアスロンを続けてきた敬子さんだからこそ語れる人生の選択。 この考え方を少しでも多くの10代~20代の女性アスリートに知っていただき、輝かしい女性のアスリートの道へ進んでいってほしいと願っています。
STYLE TRIATHLON | 女性トライスリート界のレジェンド山本敬子にインタビュー!
女性プロトライアスリートとしての選手時代を振り返る。人生の選択と伝えたい想い。 今回インタビューさせていただいたのは、トッププロとして日本のロングディスタンス・トライアスロンを牽引してきた功績者の山本敬子さんです。現在はアスリートを支えるサポーターとして活動中。また、二児の母親として子育てに奮闘中。家事の合間をぬってインタビューに答えていただきました!よろしくお願いいたします。 主な成績◆2006年 U23 アジア選手権 優勝◆2007年 U23世界選手権 6位 ◆2013年 全日本宮古島トライアスロン 優勝 ◆2012年〜2017年 日本トライアスロンロングディスタンス選手権 6連覇 トライアスロンとの出会い Q.トライアスロンを始められたきっかけを教えてください。 A.高校生の時に水泳を習っていました。その水泳の知人からトライアスロンの大会に誘われレースに出場したのがきっかけで初めての大会に出場しました。その大会でトライアスロンの楽しさに気付くと、いつの間にか2回目の大会に出場していました!そこで千葉智雄さん(恩師)に声をかけていただきトライアスロン界へと足を踏みだしました。私の出身でもある福岡県の高校を卒業すると、進路は迷わず「強くなりたい、速くなりたい。」この素直でまっすぐな想いだけで沖縄へと旅立ちました。沖縄県に移住してからは千葉智雄さん、ちはるさんご夫妻が率いるチームゴーヤーに加入しトライアスロンの頂点を目指しました。当時は週6日はチームゴーヤーのプログラム練習に参加していました。半日バイクに乗り、その練習が終わり次第、ランやスイムの練習を行っていました。 トライアスロンの魅力 Q.敬子さんがとりつかれたトライアスロンの魅力とは? A.トライアスロンは大会の開催場所によって見られる景色が違います。海の広さや、道の雰囲気など土地それぞれの広大な自然に包まれながらレースをできる所が好きでした。当時、水泳を行っていた時はプールの中でタイムトライアルに集中しなければいけませんでした。ですが、トライアスロンは対自然ということもありスイムの時は海を見ながらバイクやランは自然を楽しむことができながらレースに集中することができるのがトライアスロンの魅力ではないでしょうか! 今、伝えたい想い Q.女性トライアスリートに一言お願いします! A.人それぞれ価値観があると思いますが「選手をやめた後の人生の方が長い」ということを知っていただきたいです。選手を約13年間続ける中で最初はただ早くなりたい一心で沖縄へ行きましたが成長と共に「この先ずっと選手として生きていくのだろうか?」「選手をやめた後はどうなるのだろうか?」と”これからの人生”について深く考えるようになりました。その考えがレースの雑念になり、自分を責めた苦しい時期もありました。その考えによって千葉智雄さん(恩師)とぶつかり合ったことも沢山ありました。もし私が選手だった当時に戻れて、「選手をやめた後の人生の方が長い」というこの考え方を持っていれば、レースに対しての気持ちとこれからの人生に対して気持ちにメリハリを持って考えることができたので少しは気持ちが楽だったのかもしれません。 競技の練習を行う中でホルモンバランスが崩れ体調を崩すこともありました。 しかし、今は母親になり子供を産む喜びも味わうこともできました。子育てに日々奮闘中ですが、今が本当に幸せです。 だからこそ、選手時代からこの先の人生のことを考えながら、自分の体や自分が選んだ道を信じ、”自分自身を大切に”してあげてほしいと思っています! インタビューにお答えいただき誠にありがとうございました! これからも敬子さんらしい素敵な家庭を築いてください。 10代からトライアスロンを続けてきた敬子さんだからこそ語れる人生の選択。 この考え方を少しでも多くの10代~20代の女性アスリートに知っていただき、輝かしい女性のアスリートの道へ進んでいってほしいと願っています。

STYLE TRIATHLON | 特別ゲスト山本良介、引退前直前インタビュー!未来に描くト...
引退前にインタビューに応じていただきました。 山本良介の過去を振り返りながら現在の心情や未来のビジョンが明らかになります。 プロアスリートの行く末はいかに?! また、最後に記事をご覧になった皆さんに山本良介さんから一言がありますのでお見逃しなく!! (最終回)「トライアスロンを通して作られてきた想いとは?」 『常にレースのフィールドで身を置いてトライアスロンをしたい。』 「それがかなわなくなったからまだまだ五里霧中です!」しかし… 「トライアスロンの土台を築くことが大事だと思っています。 子供にとって身近なもので、例えばママチャリやレンタルバイクでも参加できる ”子供たちのためのカジュアルなトライアスロンレース”それをビジネスとして築いていきたいです。 敷居が高いものでなく、お金がかかるものでもなく子供たちを簡単に巻き込んでいける 『パッケージ型のトライアスロンレース』を作り全国に広げていきたいと思っています。」 「目標は『子供の頃にトライアスロンをしたことがある!』とみんなが言える世界です。 ずっと継続してほしいという気持ちはもちろんありますが、あくまで子供のスポーツの選択肢の1つにトライアスロンがある、というところまで持っていきたいと思います。」 この仕事をしてなかったらできなかったこと 「オリンピックに出るために、ワールドツアーを回っていました。 世界をまわりながら、自分の仕事ができ、いろんな場所でいろんな文化・人と出会うことができました。 これはトライアスロンをしていなければ絶対に見れなかった景色です。 中には日の丸のジャージを着ることができない場所もありました。普段じゃ行かないキューバでレースをしたりインドの川で泳いだり、全大陸回りながら様々な国の自然に向き合うことができました。」 今後レースがあればでたいですか? 「今年はレースに出ますが、今後は出ません。」 「今はトライアスリートとしての終活をしていて、自分なりの終わり方を考えています。 最近は、「優勝して特別な景色も見てきた、身体が苦しい時もあった。どちらもスポーツと自分の体に向き合っているという点は全く同じだったな。」と思います。 競技者としては自分が思うように体が動かず、レースに対しての満足感は今は感じられない葛藤があります。しかし、 一個人としても、トライアスーリートという面でも、続けてこなかったら見えない景色があったので続けて良かったと思っています。」 これからトライアスロンを始める人にかけたい言葉は? トライアスロンを通して「人生のスタイル」を築いてほしいと思います! トライアスロンの良いところは生涯スポーツであることです。レースも競技者のレベルでカテゴリーが別れているので参加しやすく、誰にでも身近な『見る』より『やる』競技だと思います。 複合競技なので一人ひとりのやり方があり、エイジグループの中で一番になりたい人、自己タイムが出なくなっても自分への探求心で行っている人、純粋にトライアスロンが好きな人、などなどの理由があってトライアスロンを続けていると思います。それぞれのスタイルでトライアスロンを楽しんでほしいです。 世界を周り、数多くの経験をしたアスリートだからこそ語れる言葉ですね! トライアスロンの楽しさや厳しさを一番知っているアスリートだと思っています。...
STYLE TRIATHLON | 特別ゲスト山本良介、引退前直前インタビュー!未来に描くト...
引退前にインタビューに応じていただきました。 山本良介の過去を振り返りながら現在の心情や未来のビジョンが明らかになります。 プロアスリートの行く末はいかに?! また、最後に記事をご覧になった皆さんに山本良介さんから一言がありますのでお見逃しなく!! (最終回)「トライアスロンを通して作られてきた想いとは?」 『常にレースのフィールドで身を置いてトライアスロンをしたい。』 「それがかなわなくなったからまだまだ五里霧中です!」しかし… 「トライアスロンの土台を築くことが大事だと思っています。 子供にとって身近なもので、例えばママチャリやレンタルバイクでも参加できる ”子供たちのためのカジュアルなトライアスロンレース”それをビジネスとして築いていきたいです。 敷居が高いものでなく、お金がかかるものでもなく子供たちを簡単に巻き込んでいける 『パッケージ型のトライアスロンレース』を作り全国に広げていきたいと思っています。」 「目標は『子供の頃にトライアスロンをしたことがある!』とみんなが言える世界です。 ずっと継続してほしいという気持ちはもちろんありますが、あくまで子供のスポーツの選択肢の1つにトライアスロンがある、というところまで持っていきたいと思います。」 この仕事をしてなかったらできなかったこと 「オリンピックに出るために、ワールドツアーを回っていました。 世界をまわりながら、自分の仕事ができ、いろんな場所でいろんな文化・人と出会うことができました。 これはトライアスロンをしていなければ絶対に見れなかった景色です。 中には日の丸のジャージを着ることができない場所もありました。普段じゃ行かないキューバでレースをしたりインドの川で泳いだり、全大陸回りながら様々な国の自然に向き合うことができました。」 今後レースがあればでたいですか? 「今年はレースに出ますが、今後は出ません。」 「今はトライアスリートとしての終活をしていて、自分なりの終わり方を考えています。 最近は、「優勝して特別な景色も見てきた、身体が苦しい時もあった。どちらもスポーツと自分の体に向き合っているという点は全く同じだったな。」と思います。 競技者としては自分が思うように体が動かず、レースに対しての満足感は今は感じられない葛藤があります。しかし、 一個人としても、トライアスーリートという面でも、続けてこなかったら見えない景色があったので続けて良かったと思っています。」 これからトライアスロンを始める人にかけたい言葉は? トライアスロンを通して「人生のスタイル」を築いてほしいと思います! トライアスロンの良いところは生涯スポーツであることです。レースも競技者のレベルでカテゴリーが別れているので参加しやすく、誰にでも身近な『見る』より『やる』競技だと思います。 複合競技なので一人ひとりのやり方があり、エイジグループの中で一番になりたい人、自己タイムが出なくなっても自分への探求心で行っている人、純粋にトライアスロンが好きな人、などなどの理由があってトライアスロンを続けていると思います。それぞれのスタイルでトライアスロンを楽しんでほしいです。 世界を周り、数多くの経験をしたアスリートだからこそ語れる言葉ですね! トライアスロンの楽しさや厳しさを一番知っているアスリートだと思っています。...

STYLE TRIATHLON | レジェンド山本良介が20歳手前でまさかの引退、その理由とは...
生きていればあらゆる困難にぶつかります。山本良介がトライアスロンに挫折しかけた「壁」とは? 山本良介がぶつかった壁とは? Q. さまざまな困難を乗り越えてこられたと思いますが、1番大きな「壁」とは? A. 実は、20歳になる前に1度トライアスロンをやめたことがあります。 周囲の人たちはみんな大学に行き就職している一方で、自分はバイトしながらマイナースポーツに取り組む、という状況で「トライアスロンでは生計を立てられない」という壁にぶつかって、挫折してしまったのです。 しかし、就職してみたものの充足感は得られませんでした。 そんな折に後輩がオリンピック(2000年シドニー大会)に出場し、それを見に行く機会がありました。 ジュニア時代の思い出や、後輩の頑張る姿への感動、親近感や疎外感、色々な気持ちがごちゃ混ぜになりましたが「見る側ではなく、出る側になりたい」と強く思い、21歳で再びトライアスリートとして生きることを決意しました。トライアスロンには、野球やサッカーと違ってプロリーグやプロチームはありませんし、ボクシングのようにプロライセンスがあるわけでもありません。 だからプロと言ってもその定義は曖昧でした。 最初の1・2年は、思ったように稼げなかったので、バイトをしながらプロトライアスリートをしていました。 ひどい時には半日バイトして、半日トライアスリートなんていう日もありました。 マイナースポーツの厳しいところで、 オリンピック競技なのに多くの人にとっては“しんどい競技”くらいの認識しかなく、稼ぐ機会というのは本当に限られていました。 日本代表になった時でさえ、バイトをしながらレースに出場していました。 日本人でプロトライアスリートと生計を立てている人はかなり少ないです。 日本で開催されるレースの多くには「賞金」がないので、生計を立てることができないからです。 海外のレースでは1000万円ほどの優勝賞金がありますが、日本選手権では優勝した時でさえ「○○○費」としての15万円が賞金がわりでした。 トライアスロン大会を開催するために多額の費用がかかり、そもそもスポンサーがいないと開催することすら難しく賞金まで回らないのです。 スイムを行うためには海を整備し、ライフセーバーが必要です。バイクやランの道路を確保しコースを整備するなど、行政も巻き込んでやらなくてはいけないということもあり、本当に費用がかかります。ボランティアだけでは到底成り立ちません。 レースといえば夢のような賞金!というわけではないんですね。そういう部分でも見えざる努力があったとは...。 レースの開催費用が一体どれくらいになるのか想像もつきませんが、今までよりももっと感謝の気持ちを持って、今後挑戦するレースに臨もうと思います。 トライアスロンの「しんどい」だけというイメージを覆せるよう、人気を高めることができるよう、親しみやすく楽しいイメージをもっともっと発信していかねば! 次回予告 山本良介が未来に描くトライアスロンの姿とは? アスリート引退の後のビジョンとは?(最終回)...
STYLE TRIATHLON | レジェンド山本良介が20歳手前でまさかの引退、その理由とは...
生きていればあらゆる困難にぶつかります。山本良介がトライアスロンに挫折しかけた「壁」とは? 山本良介がぶつかった壁とは? Q. さまざまな困難を乗り越えてこられたと思いますが、1番大きな「壁」とは? A. 実は、20歳になる前に1度トライアスロンをやめたことがあります。 周囲の人たちはみんな大学に行き就職している一方で、自分はバイトしながらマイナースポーツに取り組む、という状況で「トライアスロンでは生計を立てられない」という壁にぶつかって、挫折してしまったのです。 しかし、就職してみたものの充足感は得られませんでした。 そんな折に後輩がオリンピック(2000年シドニー大会)に出場し、それを見に行く機会がありました。 ジュニア時代の思い出や、後輩の頑張る姿への感動、親近感や疎外感、色々な気持ちがごちゃ混ぜになりましたが「見る側ではなく、出る側になりたい」と強く思い、21歳で再びトライアスリートとして生きることを決意しました。トライアスロンには、野球やサッカーと違ってプロリーグやプロチームはありませんし、ボクシングのようにプロライセンスがあるわけでもありません。 だからプロと言ってもその定義は曖昧でした。 最初の1・2年は、思ったように稼げなかったので、バイトをしながらプロトライアスリートをしていました。 ひどい時には半日バイトして、半日トライアスリートなんていう日もありました。 マイナースポーツの厳しいところで、 オリンピック競技なのに多くの人にとっては“しんどい競技”くらいの認識しかなく、稼ぐ機会というのは本当に限られていました。 日本代表になった時でさえ、バイトをしながらレースに出場していました。 日本人でプロトライアスリートと生計を立てている人はかなり少ないです。 日本で開催されるレースの多くには「賞金」がないので、生計を立てることができないからです。 海外のレースでは1000万円ほどの優勝賞金がありますが、日本選手権では優勝した時でさえ「○○○費」としての15万円が賞金がわりでした。 トライアスロン大会を開催するために多額の費用がかかり、そもそもスポンサーがいないと開催することすら難しく賞金まで回らないのです。 スイムを行うためには海を整備し、ライフセーバーが必要です。バイクやランの道路を確保しコースを整備するなど、行政も巻き込んでやらなくてはいけないということもあり、本当に費用がかかります。ボランティアだけでは到底成り立ちません。 レースといえば夢のような賞金!というわけではないんですね。そういう部分でも見えざる努力があったとは...。 レースの開催費用が一体どれくらいになるのか想像もつきませんが、今までよりももっと感謝の気持ちを持って、今後挑戦するレースに臨もうと思います。 トライアスロンの「しんどい」だけというイメージを覆せるよう、人気を高めることができるよう、親しみやすく楽しいイメージをもっともっと発信していかねば! 次回予告 山本良介が未来に描くトライアスロンの姿とは? アスリート引退の後のビジョンとは?(最終回)...

STYLE TRIATHLON | トライアスロン界のレジェンド山本良介さんにインタビューしま...
私は幼い頃からトライアスロンの第一線で活躍している山本良介さんを見てきました。 良介さんがトライアスロン界に与えた影響やトップアスリートとしての功績は数え切れません。 そんな良介さんがトライアスロン競技者としての引退を控えていると伺い、現在の心情やこれからの活動について引退直前インタビューに応じていただきました。 良介さんは、1979年生、京都府出身のトライアスリートです。 小学生で水泳を始め、ジュニアオリンピックにも出場しました。 18歳でトライアスロンデビューし、クラブチームや実業団を経て、現在はフリーの選手として、20年以上にわたり活躍されています。 自身の活動だけでなく、キッズや後進の育成にも積極的に取り組まれています。 主な成績 ◆ 北京オリンピック日本代表(2008)◆ 世界トライアスロン選手権日本代表(2001~2016)◆ アジアトライアスロン選手権日本代表(2001~2016)※アジアチャンピオン◆ ジャパンカップシリーズチャンピオン(2007, 2008, 2010)◆ ITUコンチネンタルカップ(現アジアカップ)優勝5回◆ ショートディスタンス日本選手権優勝(2010)◆ ロングディスタンス日本選手権優勝(2012)※史上2人目となるショートディスタンスとのダブルタイトルを獲得 トライアスロンとの出会い Q. 誰が何をはじめるにも「きっかけ」があると思いますが、レジェンド山本良介がトライアスロンを始めた「きっかけ」とは? A. 幼い頃からずっと水泳の練習をしていました(中学生の時はサッカー部と並行してました)が、高校生になって伸び悩み、良い成績が残せなくなってしまいました。いわゆる挫折を経験したんです。そんな時に水泳の恩師がトライアスロンを勧めてくれて、というのがきっかけです。 当時はまだ高校生以下でトライアスロンに真剣に取り組んでいる人は少なかったため『オリンピックに出場しメダルを取る』という幼い頃からの夢に手が届くのではないか、と考えました。単純にとにかくスポーツで目立ちたかったんです。当時は ヒーロー というものに憧れていて、子供心に これこそまさにヒーロー、これなら目立てる! と思いました。すぐやる気に火がつきましたね。もともと水泳やランニングをする環境には恵まれていたので、すぐトライアスロンに馴染むことができました。 トライアスロン界に貢献し、大きな影響を与えた良介さん。「すぐ馴染むことができた」そうですが、トップレベルで活躍し「幼い頃からの夢」を追い続けるには、大変な努力があったものと思います。 しかし、はじめたきっかけは意外にも「ヒーローへの憧れ」「目立ちたかった」ということでした。...
STYLE TRIATHLON | トライアスロン界のレジェンド山本良介さんにインタビューしま...
私は幼い頃からトライアスロンの第一線で活躍している山本良介さんを見てきました。 良介さんがトライアスロン界に与えた影響やトップアスリートとしての功績は数え切れません。 そんな良介さんがトライアスロン競技者としての引退を控えていると伺い、現在の心情やこれからの活動について引退直前インタビューに応じていただきました。 良介さんは、1979年生、京都府出身のトライアスリートです。 小学生で水泳を始め、ジュニアオリンピックにも出場しました。 18歳でトライアスロンデビューし、クラブチームや実業団を経て、現在はフリーの選手として、20年以上にわたり活躍されています。 自身の活動だけでなく、キッズや後進の育成にも積極的に取り組まれています。 主な成績 ◆ 北京オリンピック日本代表(2008)◆ 世界トライアスロン選手権日本代表(2001~2016)◆ アジアトライアスロン選手権日本代表(2001~2016)※アジアチャンピオン◆ ジャパンカップシリーズチャンピオン(2007, 2008, 2010)◆ ITUコンチネンタルカップ(現アジアカップ)優勝5回◆ ショートディスタンス日本選手権優勝(2010)◆ ロングディスタンス日本選手権優勝(2012)※史上2人目となるショートディスタンスとのダブルタイトルを獲得 トライアスロンとの出会い Q. 誰が何をはじめるにも「きっかけ」があると思いますが、レジェンド山本良介がトライアスロンを始めた「きっかけ」とは? A. 幼い頃からずっと水泳の練習をしていました(中学生の時はサッカー部と並行してました)が、高校生になって伸び悩み、良い成績が残せなくなってしまいました。いわゆる挫折を経験したんです。そんな時に水泳の恩師がトライアスロンを勧めてくれて、というのがきっかけです。 当時はまだ高校生以下でトライアスロンに真剣に取り組んでいる人は少なかったため『オリンピックに出場しメダルを取る』という幼い頃からの夢に手が届くのではないか、と考えました。単純にとにかくスポーツで目立ちたかったんです。当時は ヒーロー というものに憧れていて、子供心に これこそまさにヒーロー、これなら目立てる! と思いました。すぐやる気に火がつきましたね。もともと水泳やランニングをする環境には恵まれていたので、すぐトライアスロンに馴染むことができました。 トライアスロン界に貢献し、大きな影響を与えた良介さん。「すぐ馴染むことができた」そうですが、トップレベルで活躍し「幼い頃からの夢」を追い続けるには、大変な努力があったものと思います。 しかし、はじめたきっかけは意外にも「ヒーローへの憧れ」「目立ちたかった」ということでした。...