STYLE TRIATHLON | レジェンド山本良介が20歳手前でまさかの引退、その理由とは?(2)
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生きていればあらゆる困難にぶつかります。山本良介がトライアスロンに挫折しかけた「壁」とは?
山本良介がぶつかった壁とは?
Q. さまざまな困難を乗り越えてこられたと思いますが、1番大きな「壁」とは?
A. 実は、20歳になる前に1度トライアスロンをやめたことがあります。 周囲の人たちはみんな大学に行き就職している一方で、自分はバイトしながらマイナースポーツに取り組む、という状況で「トライアスロンでは生計を立てられない」という壁にぶつかって、挫折してしまったのです。 しかし、就職してみたものの充足感は得られませんでした。 そんな折に後輩がオリンピック(2000年シドニー大会)に出場し、それを見に行く機会がありました。 ジュニア時代の思い出や、後輩の頑張る姿への感動、親近感や疎外感、色々な気持ちがごちゃ混ぜになりましたが「見る側ではなく、出る側になりたい」と強く思い、21歳で再びトライアスリートとして生きることを決意しました。
トライアスロンには、野球やサッカーと違ってプロリーグやプロチームはありませんし、ボクシングのようにプロライセンスがあるわけでもありません。 だからプロと言ってもその定義は曖昧でした。 最初の1・2年は、思ったように稼げなかったので、バイトをしながらプロトライアスリートをしていました。 ひどい時には半日バイトして、半日トライアスリートなんていう日もありました。 マイナースポーツの厳しいところで、 オリンピック競技なのに多くの人にとっては“しんどい競技”くらいの認識しかなく、稼ぐ機会というのは本当に限られていました。 日本代表になった時でさえ、バイトをしながらレースに出場していました。 日本人でプロトライアスリートと生計を立てている人はかなり少ないです。 日本で開催されるレースの多くには「賞金」がないので、生計を立てることができないからです。 海外のレースでは1000万円ほどの優勝賞金がありますが、日本選手権では優勝した時でさえ「○○○費」としての15万円が賞金がわりでした。 トライアスロン大会を開催するために多額の費用がかかり、そもそもスポンサーがいないと開催することすら難しく賞金まで回らないのです。 スイムを行うためには海を整備し、ライフセーバーが必要です。バイクやランの道路を確保しコースを整備するなど、行政も巻き込んでやらなくてはいけないということもあり、本当に費用がかかります。ボランティアだけでは到底成り立ちません。
次回予告
山本良介が未来に描くトライアスロンの姿とは? アスリート引退の後のビジョンとは?(最終回)